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真珠の歴史 万葉集

真珠は恋の代弁者? 万葉歌人が真珠に込めた熱い想い

伊勢の海の
あまの島津が あはび玉
とりての後もか 恋のしげけむ

これは、万葉集に詠まれている歌(詠み人知らず)のひとつです。
どういう意味か、お分かりになりますか?

「あはび玉」とは、真珠のこと。
そして「島津」は「志摩」のことだといわれています。

直訳すれば、

『伊勢の海でとれた真珠は、手に入れた後もとても恋しく思うものだ』

という意味。
でも、もちろん、そんな単純な歌ではありません。
これは愛の歌。

真珠を愛する女性にたとえて、

『あなたと結ばれたあとも、あなたのことをとても恋しく思う』

という想いが込められた歌なのです。

どうです?
こんなことを男性から言われたら……?

『万葉集』はご存知の通り、
7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた
日本に現存する最古の歌集です。
この時代から真珠は「あこや」「しらたま」「鰒玉(あわびたま)」呼ばれ、
美の象徴とされていました。

また、「伊勢」や「島津」という言葉が示す通り、
この時代からすでに伊勢志摩の海が真珠の産地だったことが分かります。

他にも、こんな歌があります。

をちこちの 磯の中なる 白玉を
人に知らえず 見むよしもがも
(巻七−1300)

『海の中にある美しい真珠を、どうにかして他人に知られず見ることができないだろうか』

……これでは何のことか分かりませんよね?
実は、これも恋の歌なのです。

「白玉」は真珠のことで、ここでは「尊く美しい女性」をたとえています。
また「をちこちの磯」とは、その女性を護っている人々のことをさしています。

つまり、作者は「近づきがたい高貴な身分の女性」に恋しているのでしょう。

『どうにかして、あの人とお近づきになれないだろうか?』

そんな、恋焦がれるような心を歌っているのです。

「人に知らえず」
現代風にいえば、ストーカーと言えなくもないのですが……

次は女性の歌ですが

あぢ群の とをよる海に 船浮けて
白玉採ると 人に知らゆな
(巻七―1299)

「あぢ」は魚の「アジ」ではなく、鳥の鴨こと。
カモ科のトモエガモのことだと言われています。

つまり、この歌は、男性問題でうわさの渦中にいる女性が

「うるさいわね、もう! 私も真珠のようにおだやかに、美しく暮らしたいわ」

という様な意味でしょうか。

恋や愛の歌だけでなく、万葉集では他にも「真珠」を歌ったものが数多くあります。

白珠は 人に知らえず 知らずともよし
知らずとも 吾し知られば 知らずともよし
(巻六―1018)

白珠の真の価値を人は知らない。
でも、他人は知らなくてもよい。
誰も知らなくても、自分さえ知っていたらいいのだ。

そんな意味の歌です。
この歌の詠み人は、元興寺というお寺の僧侶。

『自分の価値は、自分さえ知っていたらいい』

心に染みる有り難いお言葉……のようにも思えますが、
自分のことを「高貴の象徴・真珠」にたとえて歌に残すあたり、自意識過剰ともいえるかも?

他にも、聖武天皇が奈良の都から難波の宮へ行かれたときの神亀二年(725年)に「山部赤人」が詠んだ歌に

天地の 遠きが如く 日月の 長きが如く おし照る 難波の宮に わが大君 国しらすらし
御食つ国 日のみつぎと 淡路の 野島の海子の 海の底 沖ついくりに 鰒珠
多にかづきで 船なめて 仕へまつるし 貴しみれば

というものがあり、この時代、真珠が貢ぎ物として採集されていたことがよく分かります。

また、山上臣憶良(おくら)が詠んだ、大変悲しい歌もあります。

世の人の 貴(たふと)び願ふ 七種(ななくさ)の 宝も我は 何せむに
我が中の 生れ出でたる 白玉の 我(あ)が子古日は
明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は しきたへの 床の辺(へ)去らず
立てれども 居(を)れども 共に戯(たはぶ)れ
夕星(ゆふつづ)の 夕へになれば いざ寝よと 手をたづさはり
父母も うへはな離(さか)り 三枝(さきくさ)の 中にを寝むと
愛(うつく)しく しが語らへば いつしかも 人と成り出でて
悪(あ)しけくも 吉(よ)けくも見むと 大船の 思ひ頼むに
思はぬに 横しま風の にふふかに 覆ひ来たれば
為(せ)むすべの たどきを知らに 白たへの たすきを掛け
まそ鏡 手に取り持ちて 天(あま)つ神 仰(あふ)ぎ祈(こ)ひ祷(の)み
国つ神 伏して額(ぬか)つき かからずも かかりも 神のまにまにと
立ちあざり 我(あれ)祈(こ)ひ祷(の)めど しましくも 吉(よ)けくはなしに
漸々(やくやく)に かたちつくほり 朝な朝(さ)な 言ふことやみ
玉きはる 命絶えぬれ 立ち躍り 足すり叫び
伏し仰(あふ)ぎ 胸打ち嘆き 手に持たる あが子飛ばしつ 世の中の道

恋男子名古日歌三首 天平五年(733年)六月作 巻第五

これは、

『世の人々が珍重する七種の宝も、我らにとっては何の意味もない。
白玉のような我が子古日は、明けの明星輝く朝には、我らの寝床をいつまでも離れず、
昼間立ち働いている時も座っている時も、まとわりついてはしゃぎ、
宵の明星輝く夕方になれば、さあ寝ようと、手に手を取って、
「父さん、母さん、そばから離れないで。三人並んで私は真ん中で寝る」と、可愛らしく言った。
良きにつけ悪しきにつけ、この子が早く一人前になって、成長した姿を見たいと思っていたところ、
思いもかけず、横合いから暴風が突然吹きかかって来た。
なすすべも知らず、白い襷を懸け、鏡を手に持って、仰いで天の神を祈り、
伏して国の神に額づき、治るか治らないか、ただもう神の御心のままにと、
おろおろとして我ら夫婦は祈ったけれども、ほんのしばらくも良くはならず、
だんだんと顔かたちが痩せ衰え、朝が来るたびに口数が減り、とうとう息が絶えてしまった。
我が身は驚愕して飛び上がり、地団駄踏んで泣き叫び、
地に伏しては天を仰ぎ、胸を叩いて嘆いたが、甲斐もなく、我が子をこの手から飛ばしてしまった。
これが人の世の道なのか……』

というような歌です。
憶良は自分の一番大事な子供への愛情を真珠にたとえているのです。
とても悲しい歌ですよね。

……とはいえ、やはり万葉集では真珠は恋の代弁者。
他にも、真珠を使った「恋の歌」が数多く残されています。

海神の 手に捲き持たる 玉ゆえに 磯の浦まに 潜(かづ)きするかも(巻七―1301)
海神の 持たる白玉 見まく欲(ほ)り 千遍(ちたび)ぞの みなそこてらし 潜きする海人(巻七−1302)
海(わた)の底 しずく白玉 風吹きて 海は荒るとも 取らずは止まじ(巻七―1317)
底清(そこきよ)み しはづける玉を 見まく欲(ほ)り 千遍ぞ告(の)りし 潜きする白水郎(あま)(巻七−1318)
大海の 水底照らし しづく玉 いはひて採らむ 風なふきそね(巻七―1319)
水底に しずく白玉 誰(たが)ゆえか 心つくして わが念(おも)はなくに(巻七―1320)
世の中は 常かくのみか 結びてし 白玉の緒の たゆらく思へば(巻七―1321)
伊勢の海の 白水郎の島津が あはび玉 取りて後もか 恋ひの繁けむ(巻七―1322)
海(わた)の底 沖つ白玉 縁(よし)を無み 常かくのみや 恋ひわたりなむ(巻七―1323)
色玉を 手には纏かなくに 箱のみに 置けりし人ぞ 玉詠(なげ)かする(巻七―1325)
照り左豆が 手に纏き古す 玉もがも その緒は替へて わが玉にせむ(巻七―1326)
秋風は 継ぎてな吹きそ 海の底 沖なる玉を 手に纏(ま)くまでに (巻七―1327)

以上の句はほとんどが恋の歌。
愛する女性を真珠にたとえて、

『私はこんなにあなたを心に思っているのに 嗚呼、それなのに……』

的な意味の歌が多いですね。

しかし……
この時代の人は、他にすることがなかったんですかねえ……

最後に、古代の真珠で容易に拝見できるものに、
奈良・東大寺三月堂の不空羂索(ふくうけんさく)観音像の
白毫(びゃくごう)と宝冠に使用されているものがあります。

白毫に直径7.6ミリ 0.375g の偏平形のあわび真珠、宝冠には中央に茄子形で約12ミリ
約0.75g、又1.5ミリ位の真珠と硬玉に穴を開け紐にして用いています。
その作は天平19年(747年)頃のものと言われております。機会があれば一度みてください。

ちなみに 不空羂索観音(Amoghapasa)とは、世の中の魚などを捕る網は
網目からもれてしまうものもあるが、朔索の慈悲の網は一切のものを漏らさないで衆生を救う。
それで三目千手が備わっています。

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