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東大寺千手堂 ----1998年5月21日


奈良の東大寺千手堂が全焼、重文の仏像破損
 20日午後1時5分ごろ、奈良市雑司町の東大寺境内の戒壇院千手堂付近から出火、木造平屋建ての千手堂約170平方メートルが全焼した。 堂内に安置されていた重要文化財で鎌倉時代の作とされる「愛染明王座像(あいぜんみょうおうざぞう)」の6本の腕のうち1本が、運び出す際に抜け落ちたほか、重要美術品の「千手観音・四天王立像」のうち、四天王の一つ「持国天」の首が折れた。 また、これらを納めた厨子(ずし)に消火の水がかかり、描かれていた仏像画が数カ所ではがれ落ちた。 重要文化財の鑑真和尚座像もすすをかぶるなど、同堂内にあった13体の仏像はすべて何らかの損傷を受けた。文化庁は同日、彫刻担当の主任文化財調査官を現場へ派遣した。 (ASAHI.COMより)

歴史的に由緒ある場所だけにとても残念です。
東大寺といえば聖武天皇が華厳経の総本山として立てられたものです。簡単に言えば全国各地にある国分寺の総本山ですな。
そもそも諸国に国分寺が建立されることになったのは、天平13年(741)3月24日の詔(続日本紀)によりますが、聖武天皇(701〜756・第45代)がこの詔を発せられるに到った動機は、当時大流行した疫病(朝鮮半島から九州に入り全国に蔓延した天然痘)と飢饉から国を護り、国民を救うことでありました。その「国分寺創建の詔」には
「朕薄徳を以って恭く重任を承け、未だ政化を弘めず 寤寐多く慚づ一畧一頃者年穀豊かならず、疫癘頻りに至る一畧一広く蒼生の為に、遍ねく景福を求む」とあり穀物の不作による飢餓や、当時の医学では如何とも成し難かった病気の流行を、仏のカにすがって鎮め、国民を幸せにしたい、との強いご決意の様子が伺えます。 また皇后の長兄に当たる藤原武智麻呂(藤原不比等の長子)など4人の兄達の相次ぐ病死や、全国の多数の餓死、病死者の菩提を弔う意味もあられたことでしょう。 それら多くの要因があって発布された詔であります。
詔は続いて「宜しく天下諸国をして各七重塔一区を敬造し」と七重の塔の建立と「其れ造塔の寺は兼ねて国の華たり。必ず好処を択んで実に長久たるべし」と、立地条件の良い場所に建立するよう指示をしてます。
それではどうして国分寺を建立して、仏の力で病気や天変地異から国を護ろう、とされたのでしょうか、これも詔に 「金光明最勝王経、妙法蓮華経各十部を写さしむ、朕又別に擬して金字の金光明最勝王経を写して塔ごとに各々一部を置かしむ」とあり 国分僧寺、国分尼寺建立の依拠となったのが、この二つの経典であることが判ります。 詔は次いで「僧寺には必ず二十借あらしめ其の寺名を金光明四天壬護国之寺となし、尼寺には一十尼あらしめ其の寺名を法華滅罪之寺と為し」と経典にちなんだ寺名を定めております。 国分僧寺建立の所依の経典となった「金光明最勝王経」は、彼の玄奘三蔵(600〜664)の足跡を慕ってインドに渡り、20年余ナーランダ寺で仏教を学び、多くの経典を携え期天武后の時代に帰国した、唐の義浄(645〜713)の訳になるものです。 この経典が最初に我が国に伝えられたのは、天武5年(677)で、当時は「金光明経」(インド僧・ドンムシン訳)といったが、義浄はその後、この経典を増訳し「金光明最勝王経」といたしました。 その増訳した「巻第五・四天王観察人天品第十一」にこの経を説く法師を恭敬し供養する国王あらば“我等四王、皆共に一心に、是の人王及び国の人民を護り、災患を離れて常に安穏を得しめん”と四天王が国や王や人民を護る決心を述べています。 また「巻第六・四天王護国品第十二」では、この経典を信ずる人々を、四天王がよく護っている、と知った世尊(仏)が、四天王に“若し人王ありて、此の金光明最勝の経典を恭敬し供養せば、汝等応に勤めて守護を加え安穏を得しむべし。 一畧一汝等(四王)若し能くこの経を護持せば、経力に由るが故に、よく諸々の苦、怨、賊、饑饉及び諸々の疾疫を除かん。 この故に汝等四衆、この経王を受持し読誦する者を見ては一畧一守護を加えて為に衰悩を除き安楽を施与すべし”(国訳大蔵経)と諭されております。 義浄の金光明最勝王経の完成は則天武后の長安3年(703)頃とされておりますが、その内容を詳し(聖武天皇に伝えたのは、当時唐に留学中(701〜718)で養老2年(718)に帰国した遣唐留学僧の道慈(?〜744)であろうといわれております。(東大寺・平岡定海師) このように金光明最勝王経に深く帰依し、長年病気と飢餓に苦しむ国民と、日本の国を救おうと発願し、詔して建立されたのが国分寺です。

華厳の説く世界とは、生きとし生けるものをはじめ、森羅万象は全て互いに関わり合い、個々の区別が有りながら一体となっている。それはピルシャナの世界であり、その象徴が昆廬舎邪仏である、と説かれています。
各国に国分寺を建立し、それによって国々は個別に護られているが、それが一体となった形の日本全体を護る仏(昆廬合那仏)と寺院を建立しなければならない。そして華厳の説く理想の国を築かねばならない、との思いで発せられたのが大仏造立の詔であります。 諸国の国分寺を総国分寺(東大寺)でまとめ(総国分尼寺は法華寺)昆廬舎邪仏を完成したことで、聖武天皇が深く帰依された仏教(華厳思想)の理想の世界、理想の国土が実現したのです。

ふぅ〜疲れた(笑)
とても残念だが 焼けちゃったものはしょうがない! 今日は「PhotoShop」のお勉強会(10:30〜16:00)に行ってきます。 多分寝ぼけて天平の甍の下で 天平時代のねえちゃんを口説いてる夢をみそうだな(笑)


極楽浄土の西門を望む その門の下でまだ寝ている ホームレスのおっちゃん 「早よ 起きな怒られるでぇ(笑)」
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