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「それぞれの5周年」----2000年 1月17日

 

関西のテレビ局だけだと思うが、今の時間(朝の5:10)どこのチャンネルを点けても神戸が映っている。
あの日からもう5年なのか、まだ5年なのか自分の中で整理できない。

ドンと下から突き上げられる揺れに起こされ、すべてのものを飲み込んでいった「阪神大震災」。最初に脳裡に浮かんだ事は「津波で志摩が沈んでしまう」 だった。
奥尻島のイメージ濃く残っていたのか、それとも東海沖地震が来るぞ来るぞと聞かされていたからか、志摩の両親や真珠養殖場が呑みこまれる姿が最初にイメージされた。

この5年間、真珠養殖現場では母貝斃死が続出し、それまで日本一の生産高を誇っていた愛媛県が三番手までに落ち込んだ、愛媛県だけでなく志摩の友人達も海から離れていった。また、両親も歳をとった。

神戸に足を運ぶ回数がめっきり減った。
三宮やその周辺は地震の爪跡は急速に消えて行ったようだが、ほんの少し裏路地に入れば小さな空き地などにそれは見れる。力強く笑顔を返しているようで,どこか儚げな表情を見せる町。どうしても当時の灰色の色を重ねてしまう自分がそこに居る。

青白い光で起こされ、夜が明けると埃にまみれた灰色の街に変身していた。それから数日間は原色を見れるのは消防車の赤だけだった。自衛隊の車両は灰色、潰れた家屋は灰色、人々の心も灰色。
時間と共に街に青い色が生まれた。ビニールシートの青だ。
半壊した家屋に緊急バンソウコウのようにあちらこちらで貼られた。公園・校庭でも青い花が咲いた。色が戻るのにどれだけ時間がかかっただろうか。

神戸には優しい色が似合う。はっきりとした原色はいらない、灰色の風景はなおさらいらない。

三宮の駅を下りると山側すぐの公園はいつも若者達が歌を歌っている。
最近、真珠色のような優しい神戸に戻ってきた気がする。
「頑張れ神戸」古臭い言葉のような気がするが、私にはまだ「頑張れ神戸」だ。

2000年1月17日の5:17

 

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