アーカイブ 11月, 2010

悟りの窓

土曜日, 11月 27th, 2010

初秋の風爽やかな季節に京都の源光庵を訪ねた。
(京都市北区鷹峯北鷹峯町47)

源光庵(げんこうあん)は、京都市北区鷹峯(たかがみね)にある曹洞宗の寺院。山号は鷹峰山。正式には鷹峰山寶樹林源光庵という。
1346年(貞和2年)に臨済宗大徳寺の徹翁義亨の隠居所として開基。当初は復古堂と呼ばれた。
その後、1694年(元禄7年)に卍山道白により曹洞宗に改宗、建立された。

本堂内の天井板は伏見桃山城から移築したもので、1600年(慶長5年)に徳川家家臣鳥居元忠一党が石田三成に破れ自刃した(380余名)ときの跡が残り、血天井となっている。(実際に血の足跡や手形が見えます)
その脇に悟りの窓と名付けられた「丸窓」と、迷いの窓と言う「角窓」がある。

源光庵 悟りの窓と迷いの窓
悟りの窓は円型に「禅と円通」の心を表現し、円は大宇宙を表現している。
迷いの窓は角型に「人間の生涯」を象徴し生老病死の四苦八苦を表している。


そんな悟りの窓を前にしても枠に嵌りきらず、はみ出してしまった岩城であるが、こんなおバカな奴にも悟りの日は来るのだろうか?
悟りの窓にて、悟ったらしい・・・お馬鹿な岩城

さて、この日は訳があって中型の観光バスを貸しきっての大人の修学旅行と相成りました。
快適なサロンバスにドライバーさん+バスガイドさん+大人の女性5名+岩城の総勢?8名での移動。
当然車内はガラガラ(笑)天気は快晴、最高の秋晴れと条件が整いました。
一番北にある源光庵を皮切りに、「金閣寺」を散策し、「龍安寺」で石庭で心を静めた後、庭園内にある西源院で昼食の湯豆腐を頂戴しました。
京都で食する湯豆腐は、これまた不思議なのですが美味しく感じるものです。
個人的に興味があったのが続いて訪れた「仁和寺」です。

仁和寺は出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。


春の桜は「御室桜」と呼ばれ京都の観光名所として有名ですが、秋の紅葉も五重塔を周辺になかなか風情があり良かったです。


この門(勅使門)の奥が仁和寺御殿で、お寺と言うようりお庭も含めて宮殿風の雅やかさが漂っています。


頂戴した仁和寺のパンフレットには、二王門と書かれていますが、市販のガイドブックの殆どが仁王門と称している。

さて、一番みたい「宝相華蒔絵宝珠箱」(ほうそうげ まきえ ほうじゅばこ) は、 平安時代前期の漆工芸品。蒔絵の初期の遺品として貴重な品で国宝に指定されているために見ることは叶いませんでした。
しかし、近世初期の皇居・常御殿を移築した宸殿(しんとの)*1は、池を配したお庭に囲まれ優美な空気が漂っていました。
内部は極彩色の襖絵で飾られ、宸殿の上段の間には、床、違い棚、帳台構を配し見る目にも鮮やかな造りです。
その書院に使われている螺鈿を詳しく見れたことが嬉しかったです。
*1、1887年(明治20年)に焼失。現在の建物は明治時代末-大正時代初期に亀岡末吉の設計により再建されたもの



拡大しますと

鰒(あわび)貝のような気がしますが、近づいて見る訳にいかず、次回の宿題とします(笑)



企業訪問研修 「株式会社傳來工房」(でんらいこうぼう)

火曜日, 11月 16th, 2010

会社創業が平安時代初期だと伝えられる「傳來工房」さんの会社訪問は驚きの連続だった。
傳來工房

弘法大使・空海が唐から持ち帰った鋳鉄(ちゅうてつ、cast iron)技術を受け継ぎ、以来、技能の一番優れた弟子が、代々「傳來(でんらい)」の銘を継承し、今に至る。
現在の会社は、大正七年に現社長の祖父が「傳來」の銘を継承したと聞く。

歴史ある企業でして、取引先も最高裁判所の玄関上部や皇居に架かる橋の高欄等々、さらっと説明してくださるが呆気にとられるばかりでした。
傳來工房さんの製作サンプル品通常は美術館に展示してある物が其処かしこに平然と並べてあります。

伝統を活かして先端を行く、京都型ビジネス(独創と継続の経営術:村山裕三著)にあるように、傳來工房さんも、昔ながらの鋳鉄技術を生かしたアルミ鋳物・FRP(住宅・エクステリア)、アルミ・ブロンズ鋳物(住宅内外装)、ブロンズ鋳造・アルミ鋳造(モニュメント・胸像・彫刻作品等)等の事業を行っている。
さり気なく置いてありますが、とても貴重なモノです。内緒です。新大阪駅に飾られているモノと同じモニュメントです。

経営理念  
DENRAI CREDOS(傳來工房の信条)
●すべての人にアートフルな空間を通して夢を送ります。
●傳來に関わるすべての人にとって、よい会社を目指します。
●全員の夢の達成の場が傳來工房です。

DENRAI-KOHBO`S THREE VALUES(傳來工房3つの大切)
●お客様第一主義
●品質至上主義
●環境整備

経営理念ってどこの会社でも立派に掲げますが、傳來工房さんの本気度は凄い!
今回は「環境整備」の部分を中心に見学をさせて頂いたが、傳來工房さんの環境整備「礼儀・規律・整理・整頓・安全・衛生」どれをとっても、頭の下がる思いと自分の未熟さが際立った見学会でした。
橋本社長の朝一番のトイレ掃除が切っ掛けで、社内の隅々まで環境整備が整ったとのご説明の後、実際に工場内を見学させていただく。
ピカピカの便器トイレ内

実際に便器のなかに手を突っ込んでも綺麗です。と部長さんが実演をしてくださいました。
普段から皆の仕事ぶりや掃除に信頼をしているからだと思いますが・・・・簡単のことのようで難しい&自分は?と思うと恥ずかしい気持ちになった。
実際に会社のトイレは随分前から私自身がしているのだが、キレイにしているつもりでもここまではしていない。
もっと本気をだそうよ!・・・自分。と心に決めました。
実際に便器に手を突っ込む。

≪定位置・定品・定量≫
「総務」
3定事務所の3定
ある社員の方の引き出しは、入社7年目にしてボールペンは2本目です。との事。
すべての場所で全く無駄がありません。
3定とは、「あるべき位置」に「あるべき物」が「あるべき数量」を常に確保できる形や仕組みのことです。

総務の責任者
説明はそれぞれの部署の(総務)担当者が説明をしてくださいますが、皆さん自信を持って堂々とご説明をします。
教えられてではなく、自分の考えでお話をします。これって凄いことだと思います。

「営業」
営業部の方々
3定を実行する際に一番反対した部署が営業部だったと説明をしてくださいますが、今一番熱心に3定を実行しているのが営業部だと専務さんのご説明。
3定を実行することによって「最高の営業マン」を手に入れたも同然だと。
  工場は最高のショールーム
  お客様は最高の営業マン
  社員は最高の商品

商品カタログ無くなった時点で補充
商品カタログも上の棚から取り出して、ある一定の箇所になったら下の棚から補充。さらに下の棚にも最低ストックが定められていて、最低点になった時点で発注するようになる。


営業部の方々の机周りは本当に綺麗。整理整頓は当たり前に・・・・・何と言うのだろうか、凄いです。

外回りの営業職の方の説明

色んなお客様の所に出向きますが「この黄色いカゴ」一つで殆ど用は達成できる。(確かに魔法の黄色いカゴです)

中身は

カゴを置く台そのものが補充用のスペースになっています。
急な修理依頼でもカゴを持っていけば事が済み、また外周りに行っていることがひと目で分かる。

兎に角、一つ一つの導線が明確に示されているので、誰もが安心して働ける環境になっています。
    お客様の必要に120%   その思想は社内の隅々まで行き渡っていました。


     古い・狭いは恥じゃない。不潔・乱雑が恥。
「工場」



工場内は流石にうす暗いですが、物は整理されあるべき場所にあるべき物が置かれている。
ヘルメットホルダー
軍手入れ(レバーを引くと綺麗な軍手が取りやすく上がってくる。使用済みは下の段に入れて洗濯か廃棄かを判断する。)
巻き尺(使用しているうちに計数誤差が生じるので、基準となる数値が棚に貼ってある。不良品の発見も示してある)


 型のストック。整然と保管された倉庫は芸術的ですらある。


 鋳造工程場所なのですが危ない雰囲気が無いのは、整理整頓が行き届いているからだろう。



「製品検査」

仕上げの検査にしても必要なものは一箇所に纏められ、それを製品別に対応できるようにカスタマイズできるパレットが用意されている。
全く無駄な動きがなく、高品質の製品を「人」が生み出している。
工具を探す手間や無駄を省き、みんなでアイデアを出し合って生産効率は2年間で25%もアップしたときく。
納得です。


無から有(夢)を産み出すマシン・・・・・・・工場内の工夫は殆どがこの工作機械から産み出されています。

何よりも感動したのが、社員の方々の心遣い。

名前をかかれたカイロを見るのは初めて! ありがたく使わせて頂きました。


紙コップに名前が・・・・・・・

そして工場見学が終わって事務所に戻ってきたら。

おしぼりと温かい珈琲と御茶請けが・・・・・

まだまだ感動がありまして、当日はバスを借り切っての見学でしたが、社内から工場から全社員総出でのお見送りを受けました。しかもバスが50メートル先の交差点を曲がるまで手を振り続けて下さいました。
たまにガソリンスタンドでよく似た経験がありますが、お客様としてではなくこちらが勉強させていただいたのに、ここまでして下さるとは。
学びの多い見学会でした。
冒頭に引用した村山裕三の著書に「何を守り、何を捨てるのか」を常に考え、人を重んじ、競争力を獲得する手法とありますが、京都商法の真髄を目の当たりにした、衝撃的な一日でした。

傳來工房の社員の皆様。
橋本知良社長さま、ありがとうございました。



企業訪問研修会 京都 「株式会社プリントパック」

日曜日, 11月 7th, 2010

秋晴れの11月5日(金曜日)の昼下がり、JR京都駅八条口に全国各地のKC会員(岩城の参加しているコンサルテント会社が主催する勉強会)が集まった。
今回の企業訪問は2社。
印刷通販会社の「株式会社プリントパック」さん(printpac.co.jp)
「株式会社 傳來工房」(でんらいこうぼう)さん(denraikohbo.jp denrai.co.jp
京都の企業さんって独特の雰囲気をお持ちですが、今回の2社も強烈な個性を発揮していた。

午後の1時半に最初の訪問先、プリントパックさんに到着。会社前の道路は狭く、一本西側の大通りにバスを止め徒歩で新社屋に移動する。

プリントパック新社屋 プリントパックさんと真珠屋岩城

実はプリントパックは、8年前にインターネット通販に参入し、そこから急成長を遂げた会社だ。
それまでにも、「製版業界」の中ではトップブランドとして確かな技術をもった中堅会社であった。
しかし、20年ほど前に興ったマッキントッシュによるDTPの波は、印刷業界のプロの手による製版が必要という概念を打ち壊し、誰でも手軽に自分のPCで望んだ印刷が作成できる時代へと流れていった。
DTPへの危機感を持ったプリントパック社は、ホームページの作成会社やプロバイダー経営を経て、インターネットでの受注を主体とした印刷通販会社へと変貌を遂げていった。

本年度34期の売り上げ目標は「110億円」(創業1970年6月)
コールセンターへの受注等の問い合わせ件数は、1000件~1500件/1日を数えるまでなった。
現在の会員数は400万人
来年度の新卒採用数は25名との説明を受けた。

代表取締役 木村進 氏

なぜ衰退する印刷業界にあって急成長を遂げたのか?その発端を詳しく聞き、業務現場をご説明いただいた。
なぜ他社を圧倒するローコストで、尚且つ高品質なのか?
低価格といえど、他社の半額どころか1/10という考えられない価格のものさえある。
それでも十分な付加価値益(凄い高収益です)を確保できるのは何故か?
とにかくビックリ・ドキドキ・ポカーンの会社見学になりました。

まず、印刷業界の仕組みを書き出して見ますと




40年前に刷版で創業し、その後製版まで業務を拡大した。(川下から川上に上っていく感覚かな)
現在は、お客様の企画・デザインを印刷・仕上げ・納品と「川上から川下全域に広げたように理解した」。それを実現可能にしたのがITなのだろう?
木村社長のITを敵視するのではなく味方にする方法を考えた。との言葉。
敵愾心は恐れや不安から生じるものだと理解できる。相手の凄さを認める気持ちがあれば味方(仲間)につけることも可能だとのお言葉だと思います。

社是/経営理念とありますが、お客様用と社員用に分けておりました。
まず、社是をお客様への言葉として
 ■社会貢献します
 ■安さ世界一を提供します
 ■ご発注いただいた商品やサービスの納期に誠意と努力を行うことで、お客様に心から「ありがとう」と感謝されます
 ■お客様の幸せに日本一貢献します。

経営理念:社内用
 ■私たちは幸せになれる働きをします
 ■私たち一人一人が心の安息と健康および経済的豊かさを得られる売り上げ目標、利益を達成します。

若い社員が活き活きと働いている現場は清々しく、清涼感が漂っていた。
コールセンター<コールセンター>
一日に1,000件~1,500件のお問い合わせがあるとの説明

受注チェック<データーチェック>
データー内容をこちらでチェックします(お客様データのため、詳細は見えないように撮影させていただきました。)

製版機器<製版機械>
大きさの違うものが2台。下の階にもあるとの事。自動で版が出来上がってくる不思議ボックスでした。

大型インクジェット機器<大型のインクジェット機>
最近導入された大型のインクジェット機械。非常に綺麗な出来上がりで驚きでした。

裁断機<裁断機>
今回一番人間の手を要するマシンだと思ったのが裁断機。

裁断機2裁断機3


裁断された印刷物を数量別に纏める。
このほかにも自動的に折り目を入れたり、現在の印刷物は多種多様。しかも小ロット。
人でのいる仕事をどれだけ効率よくマシンに作業させるかが勝負だと理解できた。

高品質と低価格の両立は、お客様からの声に集約されていると言えるだろう。
お客様からの声01お客様の声02お客様の声03

お客様から「それは本当か?」と言われること。
   本当にこの値段で出来るの?
   高品質の印刷物が小ロットで短期納期が可能って本当か?
そんな声が欲しくて欲しくて堪らないという社長。
どうしたら受注してもらえるのか?
受注をいただくことが、我々の願いであると・・・・・・

プロモーション費用など、突っ込んだ質問にも気軽にお答えいただき感謝します。
御社のように、お客様から「それは本当か?」と言われる企業を目指します。
ありがとうございます。


つづく



「螺鈿紫檀五弦琵琶」

木曜日, 11月 4th, 2010

19年振りに、「螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんごげんびわ)」が一般公開されると知り、奈良国立博物館の第62回正倉院展に行ってきた。(11月3日:文化の日)
今年は平城京遷都1300年記念、及び光明皇后の崩御1250年目にあたる年でもあり、皇后ゆかりの品としての意味合いが強い出展品が多い。
日本の歴史を紐解くと、都が藤原京(奈良県橿原市)から平城京に移ったのが710年、奈良時代はこの年から始まる。
756年に聖武天皇(しょうむてんのう)がお亡くなりになり、悲しんだ光明皇后(こうみょうこうごう)が天皇の身の回りの品を大仏に納めた。その数は膨大で天皇愛用品のほか、仏具や貴族からの献納品を含めて約9000件にも及ぶ。それらを納める倉が正倉院(しょうそういん)の始まりです。

さらに今回、別の場所から聖武天皇ゆかりの品が1250年振りに確認されました。
光明皇后が,愛する夫の聖武天皇遺愛の品として756年正倉院に献納した幻の宝刀と呼ばれる逸品。
3年後の759年に正倉院から取り出してから、行方不明になってしまっていました。
今回、東大寺と元興寺文化財研究所が保存修理のためのエックス線撮影でホンマもんと判明し,2010年10月25日に発表しました。


陽宝剣(上)と陰宝剣の柄=25日午後、奈良県生駒市の元興寺文化財研究所保存科学センター

≪読売新聞 転載≫
 

奈良市の東大寺・大仏殿内で明治時代に見つかった国宝・鎮壇具(ちんだんぐ)のうち2本の金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)(ともに刃長約80センチ)が約1250年間、所在が確認されていなかった正倉院宝物の大刀「陽寶劔(ようのほうけん)」「陰寶劔(いんのほうけん)」だとわかり、同寺と元興寺文化財研究所が25日、発表した。

 陽寶劔、陰寶劔は聖武天皇(701~756年)の遺愛品で、妻の光明皇后(701~760年)が献納した後、正倉院から持ち出され、“幻の宝剣”となっていた。

 鎮壇具は1907~08年、大仏の右ひざ付近の須弥壇(しゅみだん)から出土した。金や銀で装飾された大刀6本や銀製小壺(しょうこ)など計19件ある。奈良・同研究所保存科学センターで、金銀荘大刀2本をエックス線で撮影したところ、刀身の根もとに「陽劔(ようのけん)」「陰劔(いんのけん)」と象眼された銘が確認された。刃の長さや把(つか)にサメ皮を使った点なども、正倉院宝物の目録「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」記載の陽寶劔、陰寶劔と一致した。

 国家珍宝帳は、聖武天皇の遺愛品を756年、妻の光明皇后が東大寺大仏に献納し、正倉院に収めた宝物の目録。陽寶劔、陰寶劔は大刀100本の筆頭に記され、最重要の刀とされる。陰陽一対で万物の調和を願ったらしい。

 陽寶劔、陰寶劔は、国家珍宝帳のうち、後に持ち出された「除物(じょもつ)」の付せんがある7点のうち2点。正倉院の「献物出用帳」には、光明皇后が亡くなる約半年前の759年12月に持ち出された記録が残る。「除物」扱いの宝物で、所在が特定されたのは初めて。

 今回の調査で、別の銀荘大刀には北斗七星を象眼した七星文が確認された。

 杉本一樹・宮内庁正倉院事務所長(古代史)の話「死期の迫った光明皇后が、聖武天皇と大仏の力で平和が続くことを願って埋めたのではないか。鎮壇具には、ほかによろいの一部や水晶玉などがあり、これらも除物の可能性が出てきた」

 ◆鎮壇具◆
 寺院で堂塔を建設する際、土地の神を鎮めて安泰を願うために埋められた金銀、水晶、刀など。奈良県明日香村の飛鳥寺の塔(6世紀末)や奈良市の興福寺中金堂(8世紀前半)などで出土している。
(2010年10月25日17時56分 読売新聞)





陽劔と陰劔と刻まれた大大刀のレントゲン写真(元興寺文化財研究所提供)

剣は鉄製で,共に長さ約1メートル。1907年,大仏様が座る須弥壇南西,右ひざ下付近に掘った深さ約45センチの穴から出土し,銀のつぼ,真珠等と共に「東大寺金堂鎮壇具」として国宝に指定されていました。
宝刀も素晴らしいと思いますが、どちらかと言えば一緒に出土した、1250年以上前の真珠をこの目で確認をしたいです。
今回は、その雰囲気だけでもと思い立ち、うん十年ぶりに東大寺の大仏さんと再会をしました。
東大寺大仏殿2010/11/03 岩城撮影
須弥壇南西ですからこの足元から出土したことになります。2010/11/03撮影

また,今回の調査で,別の鎮壇具「銀荘大刀」から,皇帝の文様である北斗七星を表現した「七星文」も見つかったそうでが、北斗七星と言えば、岩城家の信仰する「霊符山太陽寺」が北斗七星をご本尊としています。
三重県宮川村にあるこの寺は、曹洞宗の寺で平安時代の中ごろ、花山法皇が西国三十三カ所巡りの途中に立ち寄り、時代は下って伊勢国司・北畠材親(ただちか)が堂宇を建てて祈願所にした。本尊は北極星と北斗七星を本体とする北辰妙見菩薩です。
三重県宮川村 霊符山太陽寺
岩城の生まれ、志摩の漁師を生業とするものは大祭りの際に一家総出で、私も小さい時分から片道3・4時間の道のりを越えて連れられて来たものです。
前回訪れた際には、叔父が私の名前で門前の旗を寄進してくださってました。親戚とは本当にありがたいことです。
閑散とした場所にあるお寺ですが歴史的には面白く、信長の伊勢攻めの際、戦火を浴びて焼失したが、文化3年(1806)から17年をかけて再建され、本堂の内陣の天井には狩野派の絵師による見事な巻き竜が描かれている。辺鄙な場所にある小さなお寺ですが、太陽寺の名前のように大きな思想を持った由緒あるお寺です。
霊符山太陽寺 三重県宮川村

さて、目的の螺鈿ですが会場に入る前に琵琶の解説をしている方がいましたので、音色を聞かせて頂き色々質問をさせて頂きました。
琵琶と音大生
螺鈿の細工部分を詳しく見せて頂きました。
この品もなかなか綺麗で、中国で製作されて日本円で20万円程度で購入されたとか。



この部分の上部中央を拡大してみると


琵琶の本体部分にデザインを施し、木を削って空枠を作ります。今度は貝を削りだして凹んだ部分にはめ込み、全体を平らに削りだします。
曲線が多いデザインだとそれだけ難度の高い作業になるわけです。

今回展示を許された「螺鈿紫檀五弦琵琶」は全長108.7ミリ 幅30.3ミリ 厚9.0ミリの小ぶりの5弦琵琶。
現存する古代の5弦琵琶では唯一の遺例です。

公開されている拡大画像が少ないので、自分の目で確かめたかったのですが、先程の琵琶との細工の違いは一目瞭然でしょう。

フタコブタクダに乗って四弦琵琶を演奏している人物、及び熱帯の植物・飛鳥・岩・草花にヤコウガイを用いています。その背後の褐色の多い部分に玳瑁を使用しております。

裏文様にある朱の使い方も興味を引くが、光の具合で表情を変える螺鈿の配置の妙は、実際に現物を見てその変化を確認したものでないと判らない。
螺鈿は主にヤコウガイ・アワビ・アコヤカイなど各種の貝殻を研磨し、文様の形に切ったものを漆地や木地に嵌め込んだり、貼り付けて装飾を施すのですが、今回の螺鈿紫檀五弦琵琶は木地に直接文様形を彫って貝片を埋め込んでいます。
裏面の唐花の赤い部分は「伏彩色(ふせざいしき)」と言い、玳瑁(タイマイ:海亀)や琥珀(コハク)を嵌装する器面にあらかじめ彩色を施す技法を用いています。
今から1400年前の、西暦600年や500年代にどれだけの夜光貝が採れたのだろうか?
この螺鈿の大きさから想像すると、とてつもなく大きな巻貝が生息していたことがわかるのですが。
今回発見された宝刀と共に、1907年に出土した真珠はどのようなものなのか?
装飾用に用いられていたのか?それとも祭祀の為に埋めたのか、はたまた医療品として貴重な薬にと用いたのだろうか。
奈良時代と真珠の関係性を探る楽しみが増えました。

日本人に生まれてよかったと思う一日!。ありがとうございます。





石井稔の米作り 

月曜日, 11月 1st, 2010

こんにちは、岩城真珠の店主:岩城達夫です。
ITYの仲間が立派なブログを作ってくれました。ありがとう!
あまりに立派過ぎて、上手く書かなければとプレッシャーか?なかなか書き辛かったのだが、家に帰ってきてTVを付けたら、見知った顔が映し出されていた。

懐かしい顔を見ていたら当時の想いが蘇って来た!
その懐かしい顔はNHKプロフェッショナル「仕事の流儀」 ・・・・・石井稔だった。
今から10年ほど前、岩城は宮城県の浅野知事の考えによる、新規事業促進とベンチャー育成のため、みやぎ産業振興機構のアドバイザーとして月に2回、一日に3件の相談案件、都合月に6件、それ以外の案件も換算すると一年間に約100件近い事業計画を見ていた計算になる。
「みやぎ経営実践塾」は、県内の中小企業やベンチャー育成のために県庁内の枠を超えて実践的なアドバイスを施すために、元SONYテクノロジー社長の高橋四郎を座長に全国各地からその道のエキスパートを招聘し、縦割り行政ではでき得ない包括的な支援(技術・金融・営業・産学連携)を進めてきた。
4年ほど経過し、ある程度の実績が上がり、行政の仕事に慣れが出だした頃だった。
まったく異分野の米の相談案件が来た。それが石井稔の「農業生産法人、有限会社ヒーロー」だった。
ヒーローの社長と副社長の石井さんが相談に来たのは、評判になりつつあった石井ブランドの米の販売権利が、あるきっかけで東京の会社に委ねられていることだった。
当事者の石井さんはことの重大性をあまり認識してなかったようだが、ヒーローの社長、石ヶ森が強引に実践経営塾に引っ張ってきたのが実情だ。
即座に高橋四郎はことの重大性を見抜き、すぐに行動に移った。
商取引の権利関係があるので詳しくは表せないが、うれしそうにお米の話をする石井さんに、商売での苦労をさせてはいけない。その場に臨席している全員の気持ちだった。

ブログを書き始めなければ・・・と悩んだときに、久しぶりに画面で出会った石井さんの笑顔!
この案件以外にも、食育を実践している若いNPOの案件で田圃から仙台市内に来ていただいて、色々お話を聞かせて頂きました。
本当にありがとうございます。

石井さんの「米と話をすぅんだ」「米作りは水だぁ」その言葉は今も覚えてます。
驕りと傲慢さが出だした時にいつも石井さんの、東北人の語り口を思い出します・・・・ぼそぼそと、自分のこと、お米のことを伏し目がちに話す姿。

真珠作りも同じですね。あこや貝にいつも語りかけていた祖母がいます。祈りながら核入れ作業をしていた叔母がいました。
私はたくさんの方から、物事に真面目に取り組む姿勢を教えて頂きました。
ありがたいことです。

海からの贈り物ー真珠  岩城達夫     11月1日 この日は、岩城勘十郎:祖父の誕生日です。小さい時の記憶しかないが・・・